■2006年10月28日(土)
おかげさまで
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昨日あたりから母の調子が目に見えてよくなり、私も安心したせいか今日は10時まで寝てしまった^^; こんなに眠ったのは久しぶり。起きたらなんだか生命エネルギーが満ち溢れた感じ。睡眠って大切。。。
とりあえず経緯のみ先に。。。
10月2日月曜日、朝9時過ぎ。 前日、神戸マルシェで疲れたうえに飲みに行って深夜帰宅だったためまだ眠っていたところへ、母から電話で呼び出し。先週の検査の結果があまりいいものじゃなかった、とのこと。寝ぼけ眼で着替えて近所のクリニックへ行くと先生が「びっくりさせてごめんなさいね。」と母を気遣いながら、胃カメラの写真を見せながら説明してくださった。胃角部(胃の中央部の折れ曲がり)に直径3-4cmの白い潰瘍があり、その縁の盛り上がっているところにがん細胞が見つかったという。細胞診でクラスV判定、つまり誰が見ても明らかな悪性腫瘍。
母は数日後に故郷の秋田を拠点に友人たちと旅行に行く予定にしており、その前に、最近胃の調子が悪いので薬をもらおうと思い、知人から検査が楽だという評判を聞いていたSクリニックで胃カメラ検査を受けたのだった。
評判どおり検査がとても上手で、物腰も柔らかく優しく丁寧なS先生を母がとても信頼していることから、S先生の紹介により、先生がかつて副院長をされていたという専門病院、T胃腸病院で手術を受けることに決め、翌日診察に連れて行く。 10日入院、18日手術と最短距離のスケジュールが決定。こんなふうにことが進むのが早いのが専門病院の利点。またSクリニックで最初から本人に告知をしてくれたことも話が早く、楽だった。
告知からしばらく、自分がどうしていたのかあまり覚えていないのだけど、母を動転させないよう、冗談を交えながらつとめて自然体で接していたように思う。
6日に東京出張が決まっていたのでどうしようか迷ったけど、とりあえず入院まではすることがないのと、これから長丁場になりそうな母のメンタルケアのために、まずは自分自身のケアをする必要を強く感じたので、予定通り会議に参加し、そのまま土日まで居て充電を試みることにした。今思うとこの決断は正しく、東京滞在中に思いがけない出逢いと、この局面を乗り越えるためのエネルギーを得ることができた。貴重な三日間だった。
入院してからの一週間は検査漬け。ただでさえ自律神経失調症でデパスを常用、血圧も平気で200〜!とか上がっちゃう人にとって、こんな精神不安定な状況下で受ける検査はかなり過酷だったようで、このころが私も一番辛かったかな。不安、という点ではとくに術後の痛みが怖かった。私は痛い思いというのをほとんどしたことがないため、未知の痛みに対する恐怖が強く、それをずっとそばで見ていることに耐えられるだろうか、ということで頭がいっぱいで、病気の深刻度にまで心配が至らないような状態だった。
手術前日の17日、秋田から叔母(母の妹)が来てくれた。病院の付添いの仕事をしている本職で、力強い味方。その夜遅くまで、普段ほとんど話すことのない叔母といろんな話をした。
手術当日の18日朝には他の親戚も集まってくれ、身内に囲まれた瞬間、「私がひとりでやらなくちゃ」という強迫観念が消え、恐怖も不安もみんなに預かってもらったようにすっかり軽くなった。それまで不安定だった母もなんとか落ち着いて手術室へ。約4時間後、手術室前に呼ばれ、叔父と弟と私が、切除した臓器を前に説明を受ける。(これも怖いと思っていたけど全然で、食い入るように見つめていました^^;) がんは胃の筋層を越え、外側の表皮、漿膜(しょうまく)から色が透けて見えていて、腹膜に顔を出す寸前だったとのこと。神様に感謝。 他の臓器にも、第二群まで郭清されたリンパ節にも、幸い目視では転移が見られなかった。ステージとしては「進行がん」、そのなかでも幸運な方だったのかな。
術後24時間経たないうちに、看護師さんに促されて立ち、歩いたのには驚いた! 全身麻酔と同時に施された硬膜外麻酔(腰椎に針を刺して麻酔液を三日間継続的に注入する)が効いているうちになるべく身体を動かした方が、癒着を防ぎ、治癒を早めるのだそう。それにしても早かったようで、母の歩く姿を見た詰所の看護師さんたちがびっくりした顔をしながら手をたたきながら喜んでくださった。 本人もちょっと誇らしげ。でもがんばりすぎたのかその後発熱。術後はみんなそうなのだそうだけど、微熱が続きつらそうだった。完全看護ではあるのだけど、家族の出入りはOKなので、叔母と私とピンチヒッターのもう一人の叔母とで交替で24時間付き添い。一晩だけ夜勤を申し出た際、仕事をするためPCを持ち込んでひんしゅくを買う^^; 後日、そんなに忙しいのなら家で仕事していなさい、私たちはそのために付き添いに来ているのだから、と言われ、家に居ると雑事に追われ仕事に集中できないこと、病院なら母の顔を見ながら落ち着いてゆっくり仕事ができることなどを説明すると、「なんでそれを言わないの? 誤解されるよ。言葉が足りない!」と一喝される^^; コミュニケーションの未熟さをこんなところで再認識。メールなどではソツのない文章を打つので、表現が下手なようには見えないところが、余計に人を怪訝に思わせるらしい^^; うーん。
ちなみに、仕事と言ってもこの日ぐらいで、あとはボスが「少しでも負担が軽くなるように。」とほとんど肩代わりしてくださり、助けていただきました。ありがとうございました。。。
術後5日目で大部屋へ。日にち薬で体調がよくなるに従い、精神状態も安定。やはり精神面のケアが一番大変だった。うん。。。 一番心配していた痛みはと言うと・・・まあ全くないというわけではないけど、もうほとんどなかったといってもいいほど。本人はそう言うと怒るのだけど、ほんとに痛ければあんな顔はしていられないと思う。ほんとうによかった。もういろんな人に感謝。たくさんの人に助けていただいた。その祈りの賜物だと思う。 あまりアテにしていなかった弟(ゴメン)も思いのほか活躍してくれて、結構私の心の支えになってくれたりもして。病気にはならないにこしたことはないけれど、病気はいろんなことに気づかせてくれる。。。大切なこと、今まで見えなかったこと、気づかなければならないこと。。。
前述したスピリチュアルな体験、についてはまた書きたいと思います。 | | |